2019
19
Mar

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超えられない一枚

小笠原に移住したのは1998年、もう20年前です。
ダイビングガイドになるために、サラリーマンを辞めてきたものの、自分の未熟さで挫折しかけてました。最初にお世話になったお店を辞め、島を離れようかとも思いながら、それまで撮れなかった写真を思いっきり撮る日々を送っていました。
今思うとツアー代とかずいぶんお金もつかったな~
フィルムだったし、現像代もフィルム代も本当に大変で、まさに写真貧乏でした。
でも、毎日本当に楽しかった。思えば写真を撮りたくて島に移住したのに、それまでイルカと泳いだのも一度だけで使ったフィルムも2本だけでしたから(笑)

この写真はそんな日々に撮ったものです。
機材はニコノスRSに13ミリフィッシュアイ、フィルムは多分プロビア100
20代のアマチュアが持つカメラではありませんが、サラリーマン時代に中古で見付けてボーナス叩いて買ったのです。

このころはミナミハンドウイルカといえば、南島の西。
とりあえずそこにいくと、結構な確立で見つかりました。
同じようにハシナガイルカといえば、巽湾で、同じようにたいていいました。
なので、午前中にミナミハンドウ探してお昼食べて東に周って巽湾でハシナガ見る。
みたいな行程が多かったような記憶です。

たしか9月だったと思いますが、南島の西の白砂の美しい海域で撮影したもので、シータックさんのツアーだったと思います。船はまだ初代ダンシングホエールでした。

このときのイルカは10頭以上の大きな群れで、人ともすごく絡んでくれて、みんな泳ぎまくって、僕も(まだ20代でしたが)けっこうへとへとでした。
夢中になって撮っていたら、それまでフレンドリーだったイルカたちが、急にそろって海底へ泳いでいってしまったんです。

何か合図があったかのように本当に一斉に。

そして、白砂の海底で体をこすったり、イルカどおしでじゃれ合ったりしながら泳いでいきました。
僕はあわてて潜って後を追いました。白砂の海底まで潜って撮りたい!
と思ったものの、すでにへとへとでしたので、途中で息が続かずぎりぎりのところで、手をぐっと伸ばしてシャッターを切りました。
フィルムも5枚くらいしか残ってなくてちょうど撮りきって、あわてて浮上。
見上げた海面の遠いことといったら・・・
死ぬかと思いながらも何とか海面に浮上し、思いっきり息を吸いました。
「あ~もう少し潜って寄れたらよい写真撮れたのにな~」
と悔しくて。(当時はすぐに画像を確認できませんから)
その日はずっとそのことばかり悔やんでいた記憶があります。

そして、フィルムを東京に現像にだして1週間後、手元に帰ってきたポジを眺めたら最後の5カットにこのときの写真が写っていました。
僕はあの時、寄れなかったことばかり後悔していたので、自分のイメージしたものが撮れていないと思っていたので良い上がりは期待はしていませんでした。

しかしポジのラストの5カットにを見ると、目の前にあのときの様子が浮かび上がってきたのです。

人間と遊ぶのを終わりにして、イルカの世界に帰って行くイルカたち、きっとそこはどれだけたっても人間が入り込めない世界、僕が届かなかった世界、届かぬ思い。

「はい!もう遊びはお終い!帰るからね!」

きっとイルカたちはそんなセリフ言っていたに違いありません。
と、今でもこの写真を見ると思い出すのです。

小笠原に住んで撮影を始めて20年。
超えられない写真です。

 

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